2013年8月25日日曜日

ABの思い出



 

パイプラインマスターで準優勝した翌年の1982年に初来日したアラン・バーン。

当時、シェープをし始めたばかりだった自分は、

形も全然バラバラの超ビギナーシェーパー。

アランのシェープするディープチャンネルボトムを初めて見た時の

衝撃と感動は今でも忘れることはできない。





初来日時、新婚間もなかったアランは、食べ物は口に合わないし、

大きな文化の違いで、かなりのカルチャーショックでホームシックになっていた様子だった。



その後、何度も来日するにつれ日本食が大好物!へと変わっていった。

刺身・寿司・天ぷら・お好み焼き・冷や奴・おでんは大好物だった。

シェープ&サーフィンで疲れている時に、

これらがテーブルに並ぶと「ヤミー ヤミー」と大喜びだった。

昔、営業でアラン・ジェイミー・私の3人で三重県/四日市へ営業に行った際、

夕食をご馳走になったが、そこで出てきた《ドジョウの踊り食い》は

さすがに日本食好きのアランも手が出ず、

『オーNO!オーNO! オーマイガー!!!』と驚愕の笑いが止まらなかった。



来日する度に、海部のThe Dayを必ずと言っていいほど当て、

チャンネルボトムの高機能性を再認識していた。

また、どんなにオーダーが詰まってきても、シェープは一切手を抜かず時間を掛け、

芸術的なシェープをエンジョイしていた。


それが彼のスタイルだった。

 


その後、海外ではコンピュータシェープが主流となる時代がやって来るが

100%ハンドシェープを貫き通した稀少なシェーパーだった。



アランからはシェープテクニックに限らず色々な事を学ばせて貰った。

彼から教わったディープチャンネルのシェープの真髄を日本では私が伝承していきたい。



そして、今日、オーストラリアの彼の家に電話を入れ、奥さんのJayneと話し

とても喜んでくれた。

「これからは強く生きていかなければ・・・」と言う彼女の言葉に

涙が溢れてきて止まらなかった。

私がオーストラリアへ行った時は、

いつもアラン宅に世話になり、毎晩美味しい料理を作ってくれて

笑いが絶えず、明るかったJyane.


アランが故コールスミスからチャンネルボトムのノウハウを受け継ぎ、
アランバーンスタイルのチャンネルボトム完成させた。
(写真左から)
故コールスミスの奥さん・コールスミスの息子リック・スミス・アランの奥さんジェーン




今後、3人の息子達(ジェイミー・マイケル・マシュー)が

Jayneの力となってくれる事を願っています。




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
R.I.P AB

Your Mate
Kiyotaka

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