パイプラインマスターで準優勝した翌年の1982年に初来日したアラン・バーン。
当時、シェープをし始めたばかりだった自分は、
形も全然バラバラの超ビギナーシェーパー。
アランのシェープするディープチャンネルボトムを初めて見た時の
衝撃と感動は今でも忘れることはできない。
初来日時、新婚間もなかったアランは、食べ物は口に合わないし、
大きな文化の違いで、かなりのカルチャーショックでホームシックになっていた様子だった。
その後、何度も来日するにつれ日本食が大好物!へと変わっていった。
刺身・寿司・天ぷら・お好み焼き・冷や奴・おでんは大好物だった。
シェープ&サーフィンで疲れている時に、
これらがテーブルに並ぶと「ヤミー ヤミー」と大喜びだった。
昔、営業でアラン・ジェイミー・私の3人で三重県/四日市へ営業に行った際、
夕食をご馳走になったが、そこで出てきた《ドジョウの踊り食い》は
さすがに日本食好きのアランも手が出ず、
『オーNO!オーNO! オーマイガー!!!』と驚愕の笑いが止まらなかった。
来日する度に、海部のThe Dayを必ずと言っていいほど当て、
チャンネルボトムの高機能性を再認識していた。
また、どんなにオーダーが詰まってきても、シェープは一切手を抜かず時間を掛け、
芸術的なシェープをエンジョイしていた。
それが彼のスタイルだった。
その後、海外ではコンピュータシェープが主流となる時代がやって来るが
100%ハンドシェープを貫き通した稀少なシェーパーだった。
アランからはシェープテクニックに限らず色々な事を学ばせて貰った。
彼から教わったディープチャンネルのシェープの真髄を日本では私が伝承していきたい。
そして、今日、オーストラリアの彼の家に電話を入れ、奥さんのJayneと話し
とても喜んでくれた。
「これからは強く生きていかなければ・・・」と言う彼女の言葉に
涙が溢れてきて止まらなかった。
私がオーストラリアへ行った時は、
いつもアラン宅に世話になり、毎晩美味しい料理を作ってくれて
笑いが絶えず、明るかったJyane.
アランが故コールスミスからチャンネルボトムのノウハウを受け継ぎ、
アランバーンスタイルのチャンネルボトム完成させた。
(写真左から)
故コールスミスの奥さん・コールスミスの息子リック・スミス・アランの奥さんジェーン
今後、3人の息子達(ジェイミー・マイケル・マシュー)が
Jayneの力となってくれる事を願っています。
R.I.P AB
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Kiyotaka