新年明けて早々の今日は、タイキの成人式!
念願の子供を授かって喜んでいたのが昨日のよう・・・
出産予定より1ヶ月早く生まれた為、標準の体重が無く
しばらく保育器の中で過ごすことに・・・
退院してから家で昼寝の様子。
隣にあるリンゴと同じ大きさ位のかわいくて小さい顔だったー

幼い頃は、人に会ったら常に母親のうしろに隠れるほどの
恥ずかしがり屋さんだった。


小学生になって、サーフィンを勧めても毎日友達と遊ぶ事の方が楽しく
海へ行ってもビーチで砂のお山作りに夢中♪♪♪
なかなか真剣にサーフィンを始めず、任天堂マニアに・・・
泳ぎだけは出来ないとと、阿南市にあるスイミングスクールに毎週末通い
学童1級を取るまで頑張っていた頃。

やっとサーフィンをやる気になった中学1年生の頃、
グラグラ~フラフラ~しながらも、やっとこさ真っすぐ走れるようになったが
周りのキッズは既にリップしたり、ラウンドハウスカットバックなどを決めていた。
「こいつ、ホンマに上手くなるんかなぁ~???」と
正直私はかなり期待薄だった。
「上手くなりたいんやったら人の2倍・3倍・4倍と練習せな追い付かんし、追い越せん!」と助言。
それに応え、毎日登校前の朝イチは勿論、
放課後は真っ暗になるまで一生懸命練習し、日に日に上手くなり
中学2年生の夏、生見で行われたNSA西日本選手権/ボーイズクラスで
準優勝。

中学2年の冬 インドネシア・スンバワ島にて。
毎日サーフしたレイキーピークのグーフィーの波で
バックサイドが得意になった。

そして、約1ヶ月のスンバワ島滞在の最終日の朝、
ボードが足に当たり左足を骨折凹
歩けないほどの痛さで私の肩にすがり付きホテルに戻ると、
現地人に捻挫と誤解され、マッサージ師に折れた足を
約1時間マッサージされた~!
歯を食いしばって泣きそうになっていたタイキに、
私は無常にも「我慢せんかー!」と彼の横で励ましていた。
今思えばI am very very very sorry taiki!!!
帰国後も完治するまで約2ヶ月 No SURF = No Life! OMG!
高校1年生の時、幸運にも世界ジュニア選手権・日本代表に選ばれ、
ブラジル大会に出場するが世界レベルを目のあたりにして
自分のレベルの低さを知り、やる気にますます火が付いた!
また、それを機にトロフィー集めと
サーフィン雑誌に載る事が励みとなっていった。
この頃、NSAの数々の大きな大会
≪全日本選手権・ジュニア選手権などなど≫に出て行くにも
タイキは免許が無いので、私が東へ西へ超~長距離運転して
一緒に付いて行った。
一人で10時間・12時間ぶっ通しの運転はザラ。
当の本人は後部座席でバク睡かましていたなぁ~
かなりしんどかったけど、道中サーフィンの事や
これからの進路の事や色々な話を楽しく笑いながら・・・
今思えば懐かしいなぁ~
しかし、大きな大会は殆どセミファイナル敗退・・・
何度も悔しい思いをして、親子で何回タメ息をついた事やら・・・

その後2回(フランス大会・エクアドル大会)、
計3回日本代表として世界ジュニア選手権に出場し、
高校卒業後は「プロになりたい!」と将来の夢を抱き始めるが
プロの世界で飯を食っていくのはそう簡単ではない!
しかし、子供の夢を応援するのが親の役目、
出来る限りやれる事はやってあげねばと・・・
少なからず私なりにもがんばった
高校卒業後、本人の努力の甲斐もあってか2度目のプロトライアルで
念願のJPSA公認プロ資格を見事獲得!
そして、
トミーズコーポレーション・ビラボン・オーシャン&アース・ニクソンなど
多くのスポンサーが付いてくれてプロ活動が出来ることに・・・
JPSA・ASPなどの国内戦全戦をフォローする事もでき
聖地ハワイへも毎年長期滞在する事が出来るようになりました。

@Pipeline
これら、スポンサーをはじめ、
いつも陰で応援して下さっている多くの方々のおかげです!
皆さん本当にありがとうございます!が、毎月のようにNewボードを削り与えた私の事は
スポンサーとは思っていないようです(笑)
こうして振り返ってみると
タイキが生まれてから、月日の経つのがDeep Channel の如く
高速で日々が過ぎていきました。
これからは、チョッピーありーの、フラットありーの、
グッドウェーブありーの、ビッグウェーブありーの、
ヒュージクローズアウトありーの、色々な人生経験をするはず。
でも、今までサーフィンで頑張ってきたように
人生の荒波もしっかりハンドルしていって欲しいと願うばかりです。
今日はムネ~アタマのジャンク気味の生見でタイキと一緒にサーフィン
でも、気持ち良かったー!
20歳 成人を迎え
「タイキ おめでとう!」